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日本のファッションアーティスト3人が語る原宿ファッション

カラフルでモダン、そしてダイナミックな原宿ファッションは、日本の最新トレンドを反映しています。しかし、原宿ファッションはどのように誕生し、その真の意味は何なのでしょうか?時代とともに変化してきたのでしょうか?そして、なぜ原宿は日本のさまざまなファッションサブカルチャーの発祥の地となったのでしょうか?今回の「Culture of Japan」シリーズでは、原宿ファッションに精通したアーティスト3人―白塗りアーティストのMinori00mon、デコラ系インフルエンサーのCybr.grl、そして現代大和ファッションクリエイターのHang_oroshi―にインタビューを行い、原宿ファッションの意義について掘り下げていきます。

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原宿 - いかにしてこの街は日本ファッションの中心地となったのか

原宿の素朴な始まり

原宿は、東京の主要路線である山手線の渋谷駅と新宿駅の間に位置する同名の駅周辺エリアを指します。

日本の若者サブカルチャーの発信地として、また東京の様々なアンダーグラウンドファッションシーンの中心地として世界的に知られる原宿は、過去と未来が交差する場所です。個性的なショップ、高級ブティック、伝統的な隠れ家が鮮やかに融合しているのが特徴です。この街の多様性は、原宿の2つの主要エリアである竹下通りと表参道を見ることで理解できます。

竹下通りには、カラフルでトレンディーなショップや「かわいい」キャラクターグッズ、スイーツ店が立ち並んでいます。一方、表参道は東京有数の人気を誇る明治神宮への参道でもあり、美しいケヤキ並木が続く中に、一流ブランドの旗艦店や世界的な高級ブランドショップが軒を連ねています。

現在の原宿は活気に満ちた最先端の街ですが、もともとは鎌倉街道沿いの質素な宿場町にすぎませんでした。鎌倉時代(1185年~1333年)に遡る原宿に関する初期の記述では、この地域は荒野に囲まれた小さな集落として描かれています。おそらくこれが、「野原の宿場町」を意味する「原宿」という名前の由来となったのでしょう。

江戸時代(1603年~1868年)には裕福な武家、明治時代(1868年~1912年)には貴族の居住地となった原宿の一角は、後に皇室に買い上げられ、1920年に明治神宮の建設地となりました。この神社には、1912年にされた明治天皇と昭憲皇太后が祀られています。

1950年代になると、多くのアメリカ人家族がこの地域に移り住み、海外の新しい流行を原宿の人々に紹介しました。この新鮮な文化の流入に触発された原宿の人々は、自分たちなりのファッションセンスを探求し始めたのです。

ファッションの発信地としての開花

原宿が今日知られるような若者を惹きつける街として本格的に発展し始めたのは、1964年の東京オリンピックに向けてこの地域に選手村と国立代々木競技場が建設された1960年代からです。

1966年には、原宿初の本格的なブティック「マドモアゼルノンノン」がオープンし、その後、モダンなカフェ、レストラン、衣料品店、高級マンションが次々と登場しました。

当時は家賃が安かったため、現在では有名になった多くの日本人デザイナーが原宿セントラルアパートメントにオフィスを構えました。このアパートはクリエイターたちが集う場所となり、ファッションの中心地としての原宿の地位を確立する上で重要な役割を果たしました。

70年代から80年代にかけては、即興のロックパフォーマンスや、「竹の子族」と呼ばれる派手な衣装を着たダンサーグループ(原宿で最初に広く知られたファッションサブカルチャー)がよく見かけられ、この街のアーティスティックな雰囲気を盛り上げていました。

1974年の竹下通りのオープンと、1978年の地元原宿ブランドを販売する、このエリアの象徴とも言える商業施設ラフォーレ原宿の設立により、原宿は創造的な若者ファッションの中心地としての地位をさらに確固たるものにしました。

原宿ファッションの誕生

90年代に入り、裏原宿(または裏原)と呼ばれる地域が発展しました。「隠れた原宿」を意味するこのエリアでは、表参道から垂直に交わった迷路のような細い路地に、個性的なストリートファッションのセレクトショップが集まり始めました。これが原宿ストリートファッションムーブメントの幕開けとなったのです。

この時代のファッションシーンでは、個性と独創性が何よりも重視されました。そのため、人々は全く異なる複数のファッションスタイルを同時に取り入れて自己表現をするようになりました。こうした流れから、現在の原宿と密接に結びついている多くの日本独自のファッションサブカルチャーが誕生したのです。

90年代に原宿で生まれたサブカルチャーの一つに「デコラ」(「デコラティブ」の略)があります。これは、過剰な装飾、ポップで非常に明るい色使い、そして遊び心のある(しばしば安価な)アクセサリーを特徴とするスタイルです。例えば、個性的なヘアクリップ、ネックレス、ブレスレット、ステッカーなどを幾重にも重ねて身につけます。この原宿ファッションのサブカルチャーの台頭には、日本のタレントでアーティストの篠原ともえのデビューが大きな影響を与えました。彼女のファンたちが、鮮やかな色使いや、キラキラした100円ショップのアクセサリー、おもちゃのブレスレットや指輪で有名だった彼女のスタイルを真似し始めたのです。これが「シノラーファッション」の誕生につながり、デコラの先駆けとなりました。

「ロリータ」も、90年代から2000年代初頭にかけて非常に人気を博した原宿ファッションの一例です。お姫様や人形身にまとうような服装が特徴で、レース、リボン、フリル、パニエなどで贅沢に装飾されています。ヴィクトリア朝期のイギリスやフランスのロココファッションなどから強い影響を受けているのが特徴です。実はロリータファッションは70年代から存在していましたが、原宿ファッションの重要な一角を占めるようになったのは90年代以降のことです。90年代に複数のファッション雑誌で取り上げられるようになり、2004年には話題の日本映画『下妻物語』に登場したことで、ようやく世間に広く認知されるようになったのです。これにより、ロリータは原宿ファッションの柱としての地位を確立しました。

今日の原宿ファッションとは?

Minori00mon - cybr.grl - hang_oroshi

日本社会における原宿ファッションの複雑さと重要性を十分に理解するために、3人の原宿ファッションの専門家にお話を伺いました:minoriさん(Minori00mon)、クリスティーナさん(cybr.grl)、そして荒井さん(hang_oroshi)です。

Minori00mon - 白塗りとファッションを通して生きたアートを創造する

神秘的な白塗りの顔と、それに呼応する衣装を纏うminoriさんは、自身の創造性以外に特定のスタイルを持たない、幻想的な原宿のアイコンです。高校生の頃、ゴシックやロリータファッションに興味を持ちましたが、何か違和感を覚えていました。「そういった服装をするたびに、服の存在感が強すぎて、自分の顔が浮いてしまうのが悩みでした」と語ります。解決策を探していたところ、友人から白塗りメイクを紹介されました。

白粉化粧(白塗り)は平安時代(794年~1185年)に貴族の間で大流行し、現在では芸者歌舞伎役者など伝統芸能と同義語となっています。日本では1000年以上の歴史がある白塗りですが、minoriさんの使い方には前例がありません。田舎の故郷や、アニメや漫画でよく見られる自然の要素の擬人化に影響を受けたminoriさんは、神道の「八百万の神」という概念や、私たちを取り巻く自然を含むすべてのものに神が宿るという考えに思い至りました。

「そこで、白塗りと自然を組み合わせた作品を創作しようと決心し、それが今の私につながっています」とminoriさんは語ります。彼女は精緻な白塗りメイクと個性的な衣装を融合させた新しいファッションスタイルを生み出し、現在ではInstagramで約13万人のフォロワーを持つに至りました。

Cybr.grl - デコラの魅力を世界中のファンと共有する

カラフルで、カオスで、そして楽しい雰囲気を持つクリスティーナさんは、原宿ファッションへの関心を高めるため、オフラインとオンラインの両方で活動しています。彼女のInstagramは、まさに色彩の爆発といえるもので、見ているだけで思わず笑顔になってしまいます。彼女のアカウントは、世界中の約37万人のデコラ愛好家やファッション愛好家にインスピレーションを与えています!

クリスティーナさんは2014年から2018年にかけて様々なスタイルを試し、2018年の日本旅行でデコラファッションと出会いました。「デコラを初めて試した瞬間、最も自分らしさを感じました」と語ります。

彼女がデコラを選んだのは、このファッションサブカルチャーから創造的な自由を得られるからです。「それぞれの服を重ね着し、独自のアイテムを作ることは、とても個人的なプロセスだからです。服を作るときはいつも、特定のテーマに基づいて始めます。そこから、完全に装飾されるまで、少しずつアイテムを追加していきます。その日の気分で服を選ぶので、まるでムードリングのようなものです」と彼女は説明します。

Hang_Oroshi - 現代の大和ファッションを通して日本の伝統文化を再解釈する

日本の民話や歴史に根ざした荒井さんのスタイルは、大和文化を現代的に解釈した印象的なものです。日本の骨董品や伝統的な衣装、ヴィンテージのアクセサリーの美しさを、型破りでありながら畏敬の念を抱かせる方法で表現しています。

日本の伝統の魅力を表現することを大切にしている荒井さんの衣装は、どれも日頃忘れられがちな伝統の魅力を再発見するためのファッションステートメントです。「私は日本人なので日本の文化を発信していますが、私の作品を通して、世界中の人々が自国の伝統文化に美しさを見出し、それを守っていくことを応援したいのです」と語ります。

彼女がこのような物語性をファッションに取り入れることに興味を持ったのは、吉凶は表裏一体であるという考えを体現する日本の神「貧乏神」の物語を知ったときでした。その物語に深く感動した彼女は、自分もその魅力的な昔話の一部になりたいと考え、現在のスタイルを生み出しました。

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答え1:自分を自由に表現する強力な手段

まったく異なるファッションの背景を持つにもかかわらず、彼女たちは一つの点について同意しています。それは、原宿ファッションは自由な発想のファッション体験と同義だということです。単に正しい着こなし方や服の組み合わせ方というだけでなく、むしろ自分を表現するための強力な手段なのです。

クリスティーナさんにとって、原宿ファッションとは、自分の体をキャンバスに見立て、制限や境界線なしに好きなものを創り出すことと同じです。「言葉を発しなくても、自分らしさを表現できるんです」と彼女は語ります。

荒井さんは、原宿ファッションを、好きなものを何でも着ることができ、完全に、そして遠慮なく自由を表現できるファッションだと表現しています。

原宿ファッションの精神のおかげで、彼女は特に大切にしている日本の伝統的な概念を現代のファッションシーンに取り入れることができます。例えば、長い間使われてきた道具が魂を宿すという「付喪神(つくもがみ)」の考え方などです。

「アクセサリーは、日本中の骨董店で自分で選んだものを使っています。見た目だけでなく、魂が宿っているような感じがするものを選んで買います」と荒井さんは語ります。彼女の手元に届く頃にはかなり使い込まれた状態のこれらの品々ですが、だからこそ魂が宿っているのです。

特に、それらを原宿の街で披露するときは、その骨董品に宿る付喪神と自分が一体になれたような気がして、荒井さんはとてもワクワクするそうです。

「白塗りを施すことで、まるでキャンバスのように自分の顔を一から自由に作り直すことができるんです。作品のテーマに合わせて色や柄を取り入れることで、私が目指すアーティスティックな存在感を十分に表現できるんです」とminoriさんは語ります。彼女は、原宿のファッションシーンのこの特徴を深く愛しています。それは、彼女のようなクリエイターが自分の作品を披露し、まるで新しいアート作品に取り組むかのように一つ一つの衣装に向き合える、表現の自由があるからなのです。

 

答え2:強いコミュニティ意識

原宿ファッションは、単に原宿で生まれたファッションというよりも、そこに集まる人々について語るものです。「原宿では、どんなに派手な服を着ていても受け入れてもらえるんです」と荒井さんは語り、このようなエネルギッシュな創造性を支える原宿のコミュニティの重要性を説明します。

「クリエイターたちが原宿に集まって、自分たちのファッションを作り出し、それを楽しんでいるんです。全く異なる個性を持つ人々が同時に集まり、それぞれの個性が混沌と混ざり合うからこそ、原宿のファッションシーンが成立しているのだと思います」とminoriさんは確信を持って語ります。

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原宿ファッションの独創性は国境を越える力を持っている

この数十年、ソーシャルメディアが原宿ファッションを広めたことで、原宿ファッションは世界的な認知度をさらに高めてきました。かつては原宿ファッションを遠くから眺めるだけだった多くの海外のファンたちが、今や積極的な参加者へと変わり、日本のファッションサブカルチャーに新たな息吹を吹き込んでいます。これは、原宿ファッションがどこでも楽しめることを証明しています。「みんな好きなものを着て楽しむべきです!それこそがファッションのあるべき姿だと思います」と、minoriさんはエールを送ります。

国際的なデコラクリエイターとして活躍するクリスティーナさんも次のように語ります。「人々はソーシャルメディアで自分の服装をシェアし、それを通じて友達になるだけでなく、3年前に始まった国際デコラデーや、毎年2回開催される国際ロリータデーのようなイベントもあります。さらに、ファッションショーやお茶会、アニメコンベンションでのパネルディスカッションなども行われ、そこでは人々が原宿文化を共有しています。世界中にたくさんのコミュニティがあり、原宿ファッションの代表的な人物の多くが、この文化は出身地に関係なく誰もが楽しめるものだと発言しています。」

荒井さん、minoriさん、クリスティーナさんのような原宿のアーティストたちも、原宿ファッションを誰もが楽しめる身近なものにするために尽力しています。

例えば、荒井さんは日本文化の保存に力を注いでいるブランドが大好きですが、それらのブランドは往々にして自分たちの独自性を上手く伝えられていないことに気づきました。「 彼らの存在を広め、日本の伝統の魅力を伝えることで、彼らを裏方からサポートしたいと思い、起業を決意しました」と彼女は語ります。

一方、クリスティーナさんは古着屋やインディーズブランドで買い物をするうちに、子供用ではないカラフルな服やアクセサリーを見つけることがいかに難しいかという問題に気づきました。そこで彼女は、自身のファッションブランド「CANDY☆TRAP」を立ち上げ、ソーシャルメディアでの活動と合わせて、デコラカルチャーを世界中に広める取り組みを行っています。

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原宿ファッション - 未来と希望

原宿ファッションは、以前と比べると一般の人々にも浸透してきたように見えますが、minoriさんと荒井さんは、パンデミックが原宿の多くの個性的なファッションショップに多大な影響を与えたことを明かしています。

「原宿は今でも、ファッションが好きな人たちが好きなものを着て、受け入れられると感じられるコミュニティです。そういう意味では、原宿の精神は昔からあまり変わっていません。ただ、個性的なショップは減り、大企業の店舗が増えました。原宿系ブランドはオンラインに進出し、ECサイトを活用するケースも増えています。一方で、これにより原宿のサブカルチャーを原宿だけでなく、日本全国、さらには海外にも発信しやすくなっています」と荒井さんは説明します。

同時に、荒井さんは、もっと多くの人が日本文化を直接体験し、日本を訪れた際には実際に骨董市や骨董店に足を運んでほしいと願っています。「ソーシャルメディアは、現実と写真から感じられるものとの間にギャップを生み出すことが多いと思います」と彼女は語ります。

原宿はこれからも進化を続け、新しいファッションスタイルが生まれていくに違いないと3人は確信しています。「原宿のファッションシーンを愛し、体現する人が一人でもいる限り、原宿は決して消えることはありません」とクリスティーナさんは断言します。

minoriさんもまた、原宿ファッションの力と、人々の独創性を育み続ける能力を強く信じています。「日本には『出る釘は打たれる』ということわざがありますが、私は原宿ファッションが再び、突き抜けるほど目立つ存在になることを望んでいます!」と彼女は語ります。それはこれまでも、そしてこれからも、原宿ファッションの真の精神なのです!

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ライター紹介

Stefania
Stefania Sabia
イタリアで生まれ育ち、10代の頃をアイルランドで過ごしました。現在は東京に住み、伝統的な日本や隠れたスポット、レトロな美的感覚を持つものを探索するのが好き。子供の頃から日本文化に憧れていたため、来日後は日本を探検し、その美しさをインスタグラムで紹介することを使命としています。
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