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東京の大人気おにぎり屋「ぼんご」ができるまで ~店主・右近由美子さんの波乱万丈物語
JR山手線大塚駅北口からほど近くの場所に位置する「おにぎり ぼんご」。こちらは創業60年を超えるおにぎり専門店で、多くのお客さん達から深く愛されているお店です。一般的なおにぎりの倍ほどのボリューム感、そしてバラエティ豊かな56種もの具がメニューとして提供されるのが「ぼんご」の特徴です。味も見た目も抜群のおにぎりを食べる為に日本全国からファンが集い、平日でも開店1時間前には行列ができることも。「ぼんご」がこれほどの人気店になるまで、店主の右近由美子さんは本当に多くの困難を乗り越えてきました。若くして地元の新潟を離れ東京にやってきた右近さんの人生を、tsunagu Japanインタビュー記事シリーズ「People of Japan 」を通してお聞きしましょう。
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5月のある日の午前中、優しく暖かい日差しに包まれながら、私たち編集部はJR山手線で大塚駅に到着しました。北口から歩くこと約4分、星野リゾートが新しくオープンした都市型ホテルOMO5東京大塚を通り過ぎ、シャッターが半分閉ざされた状態の趣のある建物にたどり着くと、、、そこには「新潟産コシヒカリ」「おにぎり」などの文字が書かれた照明看板が飾られていました。こちらが大塚で60年以上営業しているおにぎり専門店「ぼんご」です。
56種にものぼる具材、まるで寿司屋のようなスタイルのおにぎり屋
「今日はよろしくお願いします!」元気な挨拶で出迎えてくれたのが、2代目店主の右近由美子さんでした。小柄ながらも自信溢れるオーラ、そして素敵な笑顔の持ち主です。
店内はまるでお寿司屋さんのようにL字型のカウンター席が配置され、透明なパーテーション越しにおにぎりを作る厨房がよく見渡せます。客席後ろ側の壁にはぎっしりとメニュー表が貼られ、梅干しや鮭、明太子など定番の具材からチーズベーコン、豚キムチなどのアレンジされたものまで種類は様々。数えてみるとなんと56種もの具材があります。値段は1種300円から高めのものだと700円まで、複数の具材を組み合わせて注文することも可能だそうです。
コンビニなどで売られているおにぎりと比べると大きさは約2倍ほどで、ぎっしりと具が詰められたこちらのおにぎりは、食べる人の胃袋をがっつりと満たします。他のおにぎりとは一線を画すスタイルで、国内外からこのおにぎりの作り方を学びたいという人が訪れる程の魅力です。
「ぼんご」は初代店主の右近祐さん(現・店主 右近由美子さんの旦那さん)が1960年にオープンしたお店です。昔は居酒屋で締めの一品としておにぎりやお茶漬けが出されることはあっても、おにぎりを専門に提供する食堂はとても少なかったそうです。そのため、「ぼんご」がオープンした時は珍しい飲食店が登場したと見られていたようです。
お酒が苦手だった初代店主は、老若男女問わず気軽に訪れることができる店を作ることにしました。そこで、日本人に親しまれてきたおにぎりを、注文を受けてからその場で作る「出来たてスタイル」で提供し始めたのです。
バンドのドラマーとして活動していたこともあった初代店主は、お店の人気が太鼓の音のように遠くまで届くようにと、ラテン打楽器「ボンゴ」から店名をとりました。創業から60年以上が経った今、「ぼんご」は東京だけでなく日本全国、そして海外の人々にとっても不動の人気店という地位を築いています。「ぼんご」の魅力は、ただおにぎりが美味しいからという理由だけで説明できるものではありません。私たちは現・店主の右近由美子さんに、その背景にある物語を聞いてみることにしました。
初めて訪れた東京で「ご飯難民」に
右近由美子さんが「ぼんご」を引き継いで40年あまりが経ちました。
日本のお米王国である新潟の出身で、高校を卒業した後に新潟で就職した右近さん。父親は茶碗の持ち方から靴の脱ぎ方までしっかり定めるほどしつけが厳しく、若い彼女にとって地元で過ごすことが息苦しく感じていたそうです。そのため、20歳になる数日前、最低限の荷物だけまとめ、単身東京へとやってきたのです。
初めて大都市東京を訪れた右近さんは、幸運にもすぐ喫茶店での仕事を見つけることができました。そして、食事休憩の時間などを利用して、東京の街を探索するようになりました。東京で食生活を送るうちに右近さんは、出身地の新潟で食べていたお米がどれだけ美味しかったかを実感します。
小さい頃から母親の作った家庭料理を食べて育つうちに、お米に対してこだわりが強くなっていたことにも気付きました。当時は手頃な値段で楽しめる飲食店がたくさんあったわけではなく、東京で食べるお米の味に慣れることができなかった右近さんは、仕方なくパンやラーメンでしのぐ日々を送るようになったのでした。
その後、縁あって同じようにお米の味にこだわりを持つ新潟出身の友人と出会い、その友人の紹介で右近さんは「ぼんご」に巡り会います。右近さんは初めて「ぼんご」に訪れた際、一気に2つのおにぎりを平らげた後、さらに4つのおにぎりを持ち帰ったそうです。それほど「ぼんご」のおにぎりの味に魅せられたのです。何度も店に通ううちに、当時の店主(右近祐さん)や店員さんと一緒に飲み食いもするような付き合いに。やがて、当時の店主と意気投合し、27歳という年齢差はあったもののご結婚されました。そうして、右近さんは「ぼんご」の皿洗いをしたり、いろいろなお手伝いをするようになっていったのです。
夫の逝去により店主の職を継ぐことに
美味しいお米への愛情と出会いが重なり、そこから右近さんの「ぼんご」での運命が始まっていきました。しかし、店主である夫が突然病に倒れたことにより、もともとお手伝いの立場だった右近さんが代わりにお店の全ての責任を負うことになったのです。食べることが好きなことと、飲食業を運営するのは別のことでしょう。お米に対して強いこだわりはあっても、実際に手を動かして料理をすることは、当時の右近さんにとって大きな挑戦でした。
おにぎり作りの練習をする時間もほとんどないまま、常連客が多いお店でカウンターに立つことになった右近さん。あまりのプレッシャーとストレスで1週間で胃潰瘍になってしまったそうです。当時は料理に対する自信もなく、お客さんからは「あなたの作った味噌汁は世界一まずい」と言われることもあったのだとか。いくら頑張っても苦情がやまず、うつむいて仕事をするようになり、顔なじみのお客さんが来ても気づかないこともあった言います。
飲食業の初心者がおにぎり屋を運営するには、相当の努力が必要です。振り返ると、今もはっきりと思い出せるほど苦しかった日々が10年ほど続いたといいます。人手が足りず、寝る時間もなく、空がまだ暗い早朝に家を出て深夜に帰る —そのような生活により、仕事中におにぎりを握りながら眠ってしまうこともあったそうです。職人の道は簡単ではないというけれど、おにぎりを握ることもやはり厳しい道だったのです。
10年の苦労を重ね、見つけ出した自分だけの道
右近さんは引き継いだ責務を果たすべく、一生懸命仕事に打ち込み続けました。そんな日々が10年を過ぎてくると、おにぎりを握る技もお客さんとのやり取りも上手になり、全てのことが少しずつ軌道に乗ってきました。
新潟出身であるというご自身の立場を活かし、実家の両親と相談して、おにぎりの魂ともいえるお米を新潟県岩船産のコシヒカリに変えることにしました。新潟北部に位置する岩船は山が美しく水もきれいで、昼夜の温度差が大きく、良い米を育てるのに必要な環境的要素が備わっています。そのため、岩船でとれる米は独特の甘さと粘り気があるのです。
なにがあっても諦めない心で「ぼんご」を立て直し、右近さんは自分だけの道を見つけることに成功しました。右近さんの存在は、まるでおにぎりにおけるお米のようです。決して派手ではなくそれ自体に特別な味はないけれど、欠かすことができない、素朴だからこそ色々な具材を包み込むことが出来る、その強さと温かさが「ぼんご」を支える柱となっているのです。
おにぎりを売るのではなく心を配る!お客さんと共に紡ぐ「ぼんご」の物語
右近さんに言わせれば、おにぎり屋はおにぎりを専門に売っているのでそれが美味しいのは当たり前のこと、お客さんに心を配ることこそが、右近さんの理念なのです。最初は20種程度の具で始めたメニューは、現在では56種にものぼります。それぞれのメニューはお客さんが食べたいものを追い求めた結果、作り出されたものです。新しい具材は長ければ1年以上試行錯誤してメニュー開発をすることもあります。
例えば、右近さんはもともと酸味が強いマヨネーズがあまり好きではなく、サンドウィッチを食べる時はマヨネーズ入りのものを避けていました。しかし、ある時にお客さんがマヨネーズ入りの具が食べたいと言い張ったのです。
度重なるお客さんのリクエストに応えるべく、具材をどのようにマヨネーズに合わせるか研究を始めました。そうしてメニューとして提供することになった具材はすぐにお客さん達の心を掴み、今ではマヨネーズと相性抜群の様々な具がメニューとして提供されるようになったのです。
次第に新メニューが増えていき、ついにはカレー・牛すじ・肉そぼろ・ピーナッツ味噌などおにぎりとしてはかなり珍しい具材も出てきました。地方に住むあるお客様は東京出張の度にぼんごを訪れ、必ず壁に貼られたメニューの順番に2個ずつ頼み、全ての具材を制覇し続けているそうです。
2022年時点で最も新しい具は「ペペロンチーノ」です。定番のパスタの味がまさかおにぎりに合うとは想像もしませんでしたが、「実は自分が好きな味なのです」と右近さんは和やかに笑います。「昔はお客さん達が皆、ご飯が美味しいと言っていましたが、最近のお客さんは具が美味しいと言ってくれるのです」。お米より具を褒められることは、右近さんにとって特に問題はありません。なぜなら、お客さんが何を好むかより、わざわざやってきてくれたお客さんに満足してもらうことの方が重要だと考えているからです。
「ぼんご」の美味しさは国内にとどまらず、海外からの観光客にもよく知られています。以前、ぼんごのことを自国のメディアで知ったというタイ人観光客が訪問してくれ、食べた後に親指を立てながら片言の日本語で「おいしい」と言ってくれたことが深く印象に残っているそうです。お客さんが美味しそうにおにぎりを食べて喜ぶ姿を見ることが、右近さんに大きな力を与えているのです。
壁の時計が11時に近づく頃、半開きのシャッターの隙間から早くも数人が並んでいる姿が見えました。右近さんは腰をかがめてシャッターをくぐり、お客さんに挨拶をしに出ていきました。そして、店に戻ると店内の仲間たちにこう言うのです。「今日は暑いから、(11時)20分からお客さんに入ってもらいましょう!」列に並んで待っているお客さんの負担を少しでも減らそうという心配りが感じられます。
「ぼんご」のスタッフは、いつもお客さんに温かく接しています。だからこそ、60年余りの時を経ても、祖父母から親、そして孫と数世代に渡ってお客さんに愛されるのです。現在では孫の代のお客さんが妊娠をされ、4代目のぼんご客が誕生しようとしているそうです。おにぎりにおけるごはんと具材と同じように、右近さんとお客さんもそれぞれが対となり、その関係性が「ぼんご」が続いていく理由になっているのです。
握りたてのおにぎりの味は?
取材も終盤に入り、いよいよおにぎりを試食させて頂く時間がやってきました。「ぼんご」は店内で注文を受けてからおにぎりを握るので、握る様子を目の前で見ることができます。
手の平ほどの大きさのおにぎりは、ずっしりとした重みがあります。「早く食べないとおにぎりが崩れるよ!」右近さんのアドバイスを受け、私たちは急いでカメラのシャッターを2度きり、急いでおにぎりを口に運びました。
一口食べると、まずはもっちりと弾力のあるご飯粒の食感が感じられます。そして、どこを食べてもしっかりと味付けされた具が口いっぱいに広がります。定番具材である鮭と塩辛いすじこのハーモニー(すじこ+さけ)、醤油で漬けた生の卵黄と甘辛く煮た肉そぼろの香ばしさ(卵黄+肉そぼろ)、そして明太マヨネーズとクリームチーズの濃厚な味(明マヨクリームチーズ)、どれも舌ごと飲み込んでしまいたいと思うほどに美味しかったです!
おにぎり屋の外の世界でも楽しみを
これまで右近さんの生活は「ぼんご」を中心に回っていましたが、仕事以外の時間も持ってみようと、もともと毎日営業していたスケジュールを日曜定休日にしました。
右近さんは休みの日に和太鼓を習い、仕事場で長時間同じ姿勢をとることによる疲れを発散するだけでなく、それまであまり関わりのなかった人とも知り合うようになりました。年齢も経歴もさまざまな人たちと交流をすることで、非常に刺激を受けたと言い、和太鼓は気付けば7~8年も続けているそうです。「今日は疲れて行きたくないと思っても、行くと元気になりますしね」このほかにも、店員たちと一緒にクリスマスイベントとして子供おにぎり教室を開いたりしたといいます。
おにぎりの世界から一歩踏み出してから、生活にさらに彩りが増したと語る右近さん。このような止まることを知らないエネルギーこそが、彼女のいる場所を元気溢れる雰囲気にしているのかもしれません。
日本のおにぎり文化を伝える発信者として
もともとは70歳になったら引退しようと右近さんは考えていたそうです。しかし、2022年で満70歳になった彼女は、これからもお店に立ち続けるといいます。夫が病気で倒れた時は、お店を経営するのはお金のためだと考えていました。しかし、やがてお店が軌道に乗り、お客さんに喜んでもらうことこそが、自分を含め多くの人にとって良いことだと感じるようになったそうです。お客さんを喜ばせることで、自分自身がお客さんからエネルギーをもらっているとも感じられます。そのような経験から「ぼんご」を通じて少しでも社会に貢献できればと思うようになっていきました。
「ぼんご」の美味しさを知ってもらうだけでなく、日本のおにぎり文化を伝えていきたい——右近さんはその豊富な経験と職人技で、おいしいおにぎりの作り方を学びたい人たちに伝えています。教え子のうちの1人はドイツへ旅立ち、現地でおにぎり事業を開始したそうです。日本の庶民のおにぎり文化が海外で根付いていけば、それは素敵なことでしょう。
「もしかしたら、将来海外の人が日本のおにぎりのことを話す時、'Onigiri'と言わずに'Bongo'というかもしれませんね!」カウンターの奥の右近さんが笑いながらそう言いました。
時計の針が11時20分を指し、お店の外で待っていたお客さんたちを迎え入れ始めました。お客さんの注文を聞く右近さんは常に元気いっぱいです。右近さんの存在こそが、お客さんそれぞれの心に「ぼんご」の魂が伝わる理由だと、私たちは強く実感しました。
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