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日本の漆器工芸 ~伝統の技が生み出す永遠の名品
漆器は何千年もの間、日本を代表する伝統工芸品の一つとして受け継がれてきました。その歴史は非常に深く、製造工程も複雑であり、地域ごとに独自の伝統が存在します。そのため、日本の漆器を単純に定義することはできません。今回の 「Culture of Japan」 シリーズでは、新潟県村上市を訪れて、日本の伝統的な漆器職人から直接お話を伺い、漆器の秘密に迫りました。日本の漆器の歴史、特徴、職人技、そしてその未来について、また漆器をどこで購入すれば良いかや、正しいお手入れ方法まで詳しくご紹介します!
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日本の漆器とは?
漆器は、簡単に言うと木材で作られた器に「漆(うるし)」を塗って仕上げる工芸品です。漆は天然のニスで、木の樹液から作られます。漆器は、さまざまな技術を用いて色をつけたり重ねたりすることで、多様な仕上げを施すことができます。日本語では「漆器(しっき)」と呼ばれ、日常的な器具から豪華な美術品まで様々なものがあります。
漆器は、日本に深く根ざした東アジア独特の工芸品です。茶椀、皿、箸、カップ、コースター、カトラリーなどの食器類をはじめ、伝統的な「重箱」などの容器、飾り皿などの置物、手鏡、茶器、花瓶、櫛、盆などが代表的なものです。漆器は、寺社仏閣の塗装にも使用されるほか、かつては武士の甲冑や武具にも漆が塗られ、力強くダイナミックな外観を与えるために活用されていました。
最近では、日本の漆器はファッションアクセサリーとしても人気が高まっており、トレンドのイヤリング、ブレスレット、ネックレスなどが漆を用いて制作され、新たな息吹を漆工芸にもたらしています。さらに、現代的なキッチンに映える洗練されたスタイリッシュな食器なども、漆工芸を革新的なアイデアでアレンジしたものが数多く存在します。
日本の漆器では、縁起の良いとされる朱色が一般的ですが、黒色も一般的に使用されます。また、顔料を混ぜることでほとんどどんな色でも表現することができます。さらに、木彫りや螺鈿(らでん)、蒔絵(まきえ)などの他の技法と組み合わせることも多くあります。
日本の漆器はどうやって作られる?
漆は、日本をはじめ東アジア各地に自生する漆の木の樹液から作られる天然塗料です。幹や枝の表面に傷をつけ、乳白色で黄色味を帯びた「生漆(きうるし)」と呼ばれる樹液を出します。この樹液は6月から10月の間に漆搔き職人によって採取され、一本の木から200 ml程度採れます。一人の漆掻き職人が1年間に扱える樹木は400~500本で、合計で75kgしか採取できないため、希少で貴重な商品となります。
漆の量や質は木の樹齢や周囲の環境、季節や気候にも影響されるため、漆掻き職人にはその土地に対する深い理解が求められます。また、生漆が皮膚につくとかゆみや炎症を起こすこともあるので、漆掻き職人は直接触れないように細心の注意を払います。
生漆を採取した後、水分を減らして濃縮し、粘りや質を均一にする加工を施します。そのまま塗って透明なニスとして使うこともできますが、顔料を混ぜて朱のような色を作ったり、鉄粉を加えて酸化させた黒を作ったりするのが一般的です。一口に漆塗りといっても、荘厳で落ち着いた色合いから、鮮やかでポップな色合いまで、また光沢のあるものからマットなものまで、さまざまな色合いを楽しむことができます。
日本の漆器はどこで作られているのか?
漆器の産地は全国に約30カ所があり、それぞれに歴史と特色があります。日本の漆器の大半は、石川県と福井県で作られており、どちらも古くからの伝統的な職人技を受け継いでいます。
石川県
中部地方の日本海側に位置する石川県は、日本の漆器生産において長い歴史と伝統を誇ります。県内には主に 3 つの産地による様式があります。能登半島の先端に位置する輪島地方で生産される「輪島塗」、県庁所在地の金沢市で生産される「金沢漆器」、加賀の山中温泉で生産される「山中漆器」です。
福井県
福井県は石川県の南西に位置し、古くは古墳時代後期(300年~538年)にまで遡る漆器の伝統があります。この地域の漆器には主に 2 つの様式があります。1 つは古くから職人技と漆塗りの中心地である鯖江発祥の「越前漆器」です。もう一つの、 若狭湾に面した小浜市周辺で生産される「若狭塗」は、海底の様子を図案化した独特の見た目が特徴です。
福島県
福島の漆器の主流は、「会津漆器」として知られており、内陸部の会津地方に集中しています。会津漆器は、重厚で丈夫な漆塗りと吉祥文様の蒔絵が特徴とされています。色彩は限られていますが、独特なデザインが多く見られ、彫りも非常に細かく浅いものが多く存在します。会津漆器の歴史は、1590年代に始まり、当時の大名たちによって奨励されたことにさかのぼります。
青森県
青森県の「津軽塗」は、主に弘前市周辺で製作されています。その名前は、かつてこの地域を治めていた津軽氏に由来しています。津軽塗は、地元で採れるヒノキ材に漆を重ね塗りし、研磨仕上げを行うことで特徴的なダイナミックな斑点模様が形成されます。この模様は一目で津軽塗であることを示す特徴となっています。
和歌山県
和歌山県の「紀州漆器」は海南市北西部の黒江地区が発祥です。シンプルで丈夫な作りが特徴で、日常使いに好まれます。また、「根来塗」と呼ばれる塗りの技法で、赤い上塗りの下から黒い下塗りが浮かび上がる模様も特徴的です。
その他の日本の漆器産地
他にも、鎌倉(神奈川県)、塩尻(長野県)、川連(秋田県)、高山(岐阜県)、京都、村上(新潟県)など、日本各地には見逃せない漆器の産地がたくさんあります。 この記事では最後に挙げた村上の漆器について取り上げます。
現在日本で使用されている漆は海外からの輸入品が圧倒的に多くなっていますが、国内生産者もまだ存在します。かつては日本のいくつかの地域で漆の採取が盛んに行われていましたが、1970年代から始まった地元の取り組みにより、現在では岩手県の浄法寺が日本の漆生産量の約75%を占めています。
日本における漆器の歴史
多くの古代工芸品と同様に、漆器全般の正確な歴史や起源はよくわかっていません。中国では早くも新石器時代(紀元前1万年~8000年)の漆塗りの遺物が発見されており、北海道函館市の垣ノ島遺跡では約9000年前の日本で使われていた漆器の遺物が出土しています。
漆の木が日本に伝わったのは先史時代の縄文時代 (約1万6000年~2900年前) と考えられており、福井県若狭町では1万2600年前の世界最古とされる漆の木の一部が出土しています。また、7000年~5500年前頃の土器や木工品、櫛、耳飾りなど、漆を塗ったものが数多く見つかっており、漆塗りが古くから日本文化に根付いていたことがわかります。
蒔絵のような複雑で高度な技法が生まれたのは、平安時代(794年~1185年)のことです。当時は貴族文化が興り、芸術的で凝ったものへの需要が高かった時期です。しかし、漆器は手間がかかり、材料も限られていたため、裕福な人だけの贅沢品でした。
その後、数世紀にわたる技術革新により、漆器の製造工程にかかる労力は軽減され、より手頃な価格の日本の漆器が武士や僧侶、町人に徐々に浸透し、最終的には16世紀までに農民に広がり、日本社会の必需品として定着しました。
1600年代に日本が比較的安定した江戸時代に入ると、あらゆる種類の工芸が盛んになり、漆器も市場に出回る種類が飛躍的に増えました。この時期、多くの大名たちは領内の新産業を振興するために漆工芸を奨励しました。現在も繁栄している漆器産地の多くは、かつての藩主の庇護のもとに発展したものです。
現代でも、江戸時代に発達した漆器の技法のほとんどは、伝統的な職人によって受け継がれていますが、一部の工房では補助的に機械が使われており、安価なものが大量生産されることもあります。しかし、そうした近代化にもかかわらず、漆器は今なお日本を代表する伝統工芸品の 1つであり、本物の手作り品を発見できるギャラリーや店舗、魅力的な製造工程を間近で見ることができる公開工房がたくさんあります。
村上木彫堆朱 ~知られざる粋な漆器スタイル
日本に数多くある漆器の産地の一つについて詳しく知るために、私たちは新潟県北部の水田に囲まれた田園地帯にある小さな町、村上市へ向かいました。鮭料理と海辺の温泉で有名な古い城下町・村上には、「村上木彫堆朱」と呼ばれる日本ではあまり知られていない漆器の流派があります。
ある漆器収集家から聞いた話では、村上木彫堆朱は、伝統的な職人技、表現力豊かな意匠、そして鮮やかな色彩によってこの芸術を完璧に体現しているそうです。街のメインストリートを歩きながら、地元職人の手による漆器を売るいくつかの工房や店の前を通り過ぎながら、私たちは期待に胸を膨らませていました。
私たちの目的地は村上木彫堆朱会館です。村上木彫堆朱会館はギャラリー兼工房で、漆工芸について詳しく知ることができます。村上木彫堆朱会館は、地元の工房から集められた村上木彫堆朱のコレクションを展示・販売しているほか、村上木彫堆朱の歴史や特徴を紹介する展示や、予約制の木彫ワークショップも開催しています。
ここで、漆塗り職人の菅原豊さんにお会いしました。菅原さんは村上で50年近く漆塗りに携わっており、この地域の第一人者です。菅原さんは、日本の伝統工芸職人の中でわずか1割しかいない、卓越した技術を持つ者だけに与えられる「伝統工芸士」に認定されています。自らも漆器を制作する傍ら、協会を通じて漆器の普及に努めるなど、漆工芸の継承に情熱を注いでいます。
菅原さんは、典型的な日本の職人の静かな謙虚さと愛想の良さを持っており、私たちに丁寧に語ってくれました。菅原さんの仕事場に腰を下ろすと、道具が広げられ、飛び散った顔料や仕上げ段階の漆器など、私たちは本物の生産現場にいることを実感しました。私たちが知りたかった工芸品の世界が、私たちの周りに広がっているのを感じました。
私たちはこの芸術についてほとんど知識がなかったため、菅原さんはまず、村上木彫堆朱の特徴について概要を説明してくれました。「私たちの漆器はそれほど有名ではありませんが、いくつかの点でとてもユニークです。まず、機械を使わず100%手作りで、本物の天然漆や木など、すべて天然素材を使用しています。技法も発祥当時からほとんど変わらないので、本物の職人技を体験したい方には最適です」と菅原さんは興奮気味に話します。
「村上の漆器がユニークな点として、彫りも大きな要素です。漆器を彫る地方もありますが、漆を塗ってから模様を彫るのは多い。村上の漆器は、先に彫ってから漆を塗るので、緻密で大胆な独特の表情が出ます。それに、すべて手作りで、同じものは二つとありません」と菅原さんは続けました。
そう話しながら、菅原さんは出来上がった村上漆器をいくつか取り出して、私たちに見せてくれました。私たちのような初心者でも、ほとんどの漆器との光沢の顕著な違いがすぐにわかりました。シックでバランスの取れた、落ち着きあるマットな仕上がりで、どんなファッションやインテリアにも違和感なく溶け込みそうです。
菅原さんは、「村上木彫堆朱の重要な工程の一つに、表面を研磨して光沢を取り除き、独特のマットな仕上がりにする『つや消し』という工程があります。漆器は使い込むほどに艶が増し、自分だけの特別な一品へと進化していくのです」と言います。
村上木彫堆朱漆器の歴史
村上木彫堆朱会館のギャラリーには、村上漆器の歴史や特徴を示すパネルが展示されています。しかし、かなり遠方の観光地であるため、外国人向けの翻訳はほとんどありません。概要を説明する英語のパンフレットは用意されていますが、その魅力を十分に理解するには、より深い知識が必要であると考え、菅原さんと村上木彫堆朱会館の協力を得て、その歴史を概説した資料を作成しました。現地訪問の前にお読みください。
村上木彫堆朱の起源は、漆工芸が伝来するはるか以前の平安時代にまでさかのぼります。当時、村上周辺には漆の木が豊富に生育しており、漆の生産地として栄えていました。その最盛期には、日本一の漆の生産量を誇り、その恩恵を京都や輪島などの漆器の名産地にも供給していたと言われています。
これほど強固な基盤があった村上では、当然のことながら漆器づくりそのものも盛んになりました。この工芸のルーツは、1400年代に京都から漆工芸家が寺院建設のために訪れ、地元の人々に漆を使った塗り方や彫刻を教えたことにあります。1600年代~1700年代には、武家の関心と藩主の公的な奨励策によって、漆工芸は独自の発展を遂げ、やがて庶民の間にも広まり、この地域の主要な工芸品となりました。
村上藩の家臣たちは、江戸に滞在しながら、さらに新しい木彫りや漆塗りの技術を習得していきました。その後、村上藩の名工・有磯周斎(1809年~1879年)が、中国漆器や鎌倉彫の影響を受けた意匠や技法を加え、現在に続く最終的な形態に仕上げたといわれます。
漆を重ねて文様を彫る「堆朱」という技法自体は、中国の唐 (618年~907年) からの伝来とされますが、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて日本に伝わったとされています。しかし、漆を彫るのは相当の苦労があり、鎌倉や村上などの日本の職人は、最初に木を彫ってから漆を塗るという技法に逆転させ、その過程でより鮮やかで複雑な意匠を生み出しました。
約1100年前に大和朝廷の下で建立されたと伝えられる村上の漆山神社は、漆を祀る日本でも珍しい神社です。現在も村上の山中に鎮座し、村上漆器の歴史を今に伝えています。
村上木彫堆朱ができるまで
菅原さんを訪ねたとき、私たちは村上木彫堆朱の製造工程を最初から最後まで見せてもらえるものと思っていました。しかし、菅原さんが説明してくれたように、村上木彫堆朱の制作は、彼のような漆塗りの職人が着手する前からすでに始まっているのです。実は、ひとつの作品を作るには、3人の異なる職人の洗練された技術が必要です。
菅原さんの案内で2階の工房に上がると、2人の若手木彫職人が小皿と箸を彫刻刀で削っていました。彼らが丹念にデザインを彫っていくのを見ながら、菅原さんは漆器の全体的な品質を決める基礎としての木材の重要性について語ってくれました。
「村上では、朴の木、栃の木、カツラの木など、良質の天然木を厳選し、木地師が皿や椀、置物などに仕上げます。これらは私たちのような木彫師や塗師が描くキャンバスのようなもので、決して欠かすことのできない重要な工程です」と菅原さんは言います。
完成した木器は2人の弟子のような木彫師に渡され、彼らは花、動物、風景、伝統的な模様など、思い思いの図案をデザインし、木の表面に立体的に彫り込んでいきます。村上の木彫師は、この地方独特の「ウラジロ」と呼ばれる両刃の彫刻刀を使い、他の多くの道具とともに、驚くほどの深さ、正確さ、複雑さで彫り上げます。
私たちは立ちながら、木彫り師たちが木の上に描かれたデザインをゆっくりと、しかし確実に彫り進める様子を見せてもらいました。その作業には集中力と鍛え抜かれた安定した技術が求められており、非常に困難な作業のように思えました。若い見習い職人たちが黙々と作業する姿は、日本の伝統工芸職人たちの勤勉さと謙虚さを感じさせるものでした。
木彫師の動作に我を忘れて見とれていると、菅原さんは隣にある漆塗りのアトリエに私たちを招き入れてくれました。そこでは菅原さんと工房の唯一の見習い塗師が仕事をしています。あいにくこの日は図柄をつける予定がなく、その様子を見ることはできませんでしたが、代わりに菅原さんは道具や顔料の説明をしてくれ、乾燥中の漆器も見せてくれました。
「ベースとなるデザインが完成すると、隣の木彫師から漆を塗るために私たちに作品が渡されます。私たちはまず、とくさや研磨紙を使って木の表面を滑らかにし、強化することから始めます。次に、満足のいくまで滑らかになったら、慎重に乾燥させながら、漆を塗り重ねていきます」と、菅原は自分の工程を説明してくれました。
村上で使われる漆は一般的なものより硬いため、彫った溝に漆が流れ落ちにくく、適切に扱うには非常に繊細な技術が必要です。研磨、塗装、乾燥は、人間の髪の毛で作られた刷毛など、さまざまな技術、素材、道具を使って何度も繰り返され、最終的に展示ケースで見られるような鮮やかな仕上がりになります。
上塗りが乾くと、菅原さんは一枚一枚を研磨し、トレードマークの「つや消し」に仕上げます。その後、木彫師の元に戻され、より繊細で精巧なタッチで彫られた後、漆の上摺り込みが施されます。この後、検品され、市場に出荷されるのです。
村上木彫堆朱の漆器は、木地師、木彫師、塗師を合わせ、約26もの工程を経てから完成します。このように複雑な工程のため、シンプルなお椀やお皿でも完成までに1ヶ月、大きなものや手の込んだデザインのものでは1年以上かかることもあります。
上塗りが乾くと、菅原さんは一枚一枚を研磨し、トレードマークの「つや消し」に仕上げます。その後、工程で最も難しいところは何かと尋ねると、菅原さんは、「漆器を乾かすことですね。上塗りを丁寧に乾かさないと、作品全体がダメになってしまうんです。乾燥に必要な時間や条件は季節によって大きく変わるので、何度も計画を立てて、常に最適な温度と湿度を保たなければなりません。乾燥が早いと、色が濃くなったり、縮んだりします」と答えてくれた。
「しかし、上塗りは最も技術を要するため、最もやりがいのある部分だと言えます。漆の層は信じられないほど薄いので、下の層が透けて見えないようにしながら、全体的に豊かな外観を保つには、たくさんの作業が必要なのです」と、熱意を込めて付け加えました。
定番の朱塗りのほか、黒塗りの堆黒(ついこく)漆器も数多く展示され、色とりどりの品々が並んでいました。鮮やかな色の香合(上の写真)に目を奪われましたが、これは1年以上かけて何層にも異なる色の漆を塗り重ねたものだそうです。
見学を終えて、一つの流派が驚くほど多様な作品を生み出していることに感動しました。気品ある伝統的な飾り皿から、東京で最もトレンディなファッションセンターにあっても馴染むようなイヤリングやネックレスまで、地元の職人たちがそれぞれの作品に大いなる思いを込めていることがよく分かりました。高価な高級品の他にも、手ごろな価格の箸やスプーン、お椀などもたくさんあり、日本での本物で意義深い思い出の品となりました。
現代日本の漆器
こうした時代を超えた魅力があるにもかかわらず、日本の漆器産業がここ数十年で着実に衰退していることを菅原さんから聞き、私たちは残念な気持ちになりました。戦後の大量生産、プラスチックなどの代替素材、生活様式の変化、海外からの輸入などにより、日本の漆器の代替品が数多く現れ、従来の職人が太刀打ちできない価格と入手しやすさを実現しています。さらに、日本の人口減少や近年の労働観の変化により、日本漆器の伝統を受け継ぐ若い職人の不足も、この問題を深刻にしています。
現在、日本で使用されている漆のほとんどは中国からの輸入品であり、国内で生産される漆はわずか2~3%に過ぎません。これには、合成漆などの代替品が入手可能であり、海外で製造することで価格が安くなるという理由が挙げられます。また、漆の木や漆掻き職人も不足しており、天然漆を収集する作業は時間と労力を要するため、天然漆を求める人々は制約を受けています。さらに、海外で生産される漆は品質が異なるため、長い歴史を持つ地域の独自のスタイルを正確に再現することは非常に困難となっています。
菅原さんは、村上のこうした状況を直接見てきました。「村上には2人の木地師はいますが、若い後継者も少ない。現在、木彫を学ぶ研修生が2名、漆塗りの研修生が1名いるだけです。事業協同組合を設立した当時[1950年代]は30~40軒ほどあった漆器工房も、今では10軒ほどになってしまいました」と、いつもの陽気な声と変わって少し残念そうに語ってくれた。
「かつて村上には多くの漆の木があり、漆掻き職人もたくさんいたのですが、今では1人しかいません。本物の漆を手に入れることが困難になっています。 しかし、こうした状況を変えようと植林活動が進められています」と言います。
文化庁は、衰退しつつある国内の漆産業を守るため、国宝や重要文化財の修理・維持には日本産の漆を使用することを原則としています。しかし、これが新たな需要を生み出す一方で、現在でも業界は苦しい状況が続いており、遅きに失したのではないかと心配する声も多くあります。
菅原さんのような村上の職人たちも、若者の感性に合わせたジュエリーを作ったり、人気ブランドと組んで新商品をデザインするなど、現代社会でも通用する新鮮なアイデアを試しています。例えば、燕三条という日本の金属加工のメッカの企業とのコラボレーションにより、村上漆器の取っ手を持つスタイリッシュで機能的な金属スプーンなどが作られています。菅原さんは他にもいくつかのエキサイティングな新作を準備中であると言っており、詳細は明かされていませんが、今後の展開に期待が高まります。
漆器を暮らしに取り入れるメリット
菅原さんは普段から漆器を愛用しているそうです。箸や汁椀、コースターなど、普段使いの道具の多くが漆器です。また、それを優れた食器の使い方として顧客に熱心に宣伝しています。
「漆器の良さはガラスや磁器と違って割れにくいことです。たとえば漆器のお椀は、毎日使っても15~20年は良好な状態を保てます。また、その後、塗装が剥げてきたり、ヒビが入ったりしても、漆塗りの職人に頼めば簡単に補修することができます。時間をかけてお手入れすれば、一生使えるはずですよ」と菅原さんは言います。
漆器は通常天然木で作られているため、軽くて持ちやすく、断熱性にも優れており、日本の汁椀の定番となっています。また、漆は耐久性、耐水性に優れ、食品の酸や塩分、アルコールにも劣化することなく木材を保護します。さらに、天然の漆はプラスチックと違って人工的な化学物質を含まず、自然の抗菌作用があるとされており、「おせち料理」や「うなぎの蒲焼」など、冷蔵せずに保存することが多い食品の容器として古くから使われてきたのもうなずけます。
また、村上木彫堆朱のような日本の伝統的な漆器は、天然素材を使用しているため、地球環境への負荷も少なくなります。さらに、耐久性があり、修理も可能な漆器は、現代の使い捨て食器とは一線を画し、環境保護に熱心な人々にとっては最適な選択肢と言えるでしょう。
漆器のお手入れ方法
菅原さんの経験では、「漆器は手入れが大変だから」と購入をためらう人が多いそうです。しかし、それは大きな誤解です!
先ほど述べたとおり、漆器は丈夫で傷みにくく、お手入れは、通常の手洗い(洗剤使用)と使用後の十分な乾燥だけで十分です。漆器にとって最も注意が必要なのは、水滴の跡が残る可能性があるため、濡れたまま放置することです。漆器は柔らかい布やタオルで拭き、完全に乾燥させた後に保管しましょう。漆器を末永く使いたいのであれば、一生のうち1、2回は漆塗りの職人さんのところで塗り直してもらうと長持ちしますが、これは必須ではありません。
漆器の大きな欠点は、食器洗い機や電子レンジを使えないことで、これは、現代の便利さを求めるライフスタイルとは一部相容れない側面です。代わりに、急いでいるときにはガラスや陶器の食器で補い、漆器は時間があるときにゆっくり味わうことにしましょう!
日本の漆器を購入し、楽しむ場所
村上のような漆器産地では、多くの漆器工房が自ら店舗を構え、一般向けに漆器を直販しています。こうした工房を訪れれば、職人の技を自分の目で確かめられ、品揃えも豊富なので、好みの一品が見つかるはずです。
しかし、時間的に地方まで行くことが難しい場合でも、東京のような大都市には日本のデパートなどで高品質で本物の漆器を購入することができます。菅原さんは、そうしたデパートでの購入も安心だと断言しています。また、村上木彫堆朱の漆器も「伝統工芸青山スクエア」などで入手することができるため、村上の工房に足を運ばなくても、そうした場所でチェックすることができます。しかし、ぜひ機会があれば村上に足を運んでみてください。
村上木彫堆朱をはじめ、日本の漆器ブランドのほとんどはオンラインでも購入できます。食器やキッチン用品はたいてい普遍的なものであるため、実際に手に取らずに商品を購入しても問題ありません。また、中古の漆器は、日本各地のフリーマーケットにも頻繁に出店され、掘り出し物を求めるコレクターが遠方からも訪れています。
上質な漆器の選び方
菅原さんによれば、日本のメイン漆器産地では、工業的な生産方法が一般的になりつつあり、手作りと大量生産の両方のバージョンが販売され、比較的低価格で提供されているとのことです。
菅原さんに、その違いを見分ける確実な方法はあるのかと尋ねると、漆塗りの職人として、器の縁や底の塗りの良し悪しで見分けるのだと言います。機械で漆を塗る場合、塗りがちょっと荒くなったりすることが多いからです。しかし、私たちのような素人には、そこまで細かい部分を見分けることは難しいかもしれません。ですので、やはり本物の工房に足を運び、自分の目で職人の技術を確かめることが最も確実な方法だと言えます。
また、本物の木材とプラスチックの違いは簡単に見分けられます。天然木は指で弾くと軽い音が、プラスチックや加工木はやや硬い音がします。すでに購入している漆器が本物かどうかを確認したい場合は、水を入れた容器に入れて沈めてみると、本物の木材は浮き上がってきますが、プラスチックや加工された木材は通常、底に沈んだままになります。容器に熱い液体を注ぎ、持てるかどうかで確認することもできます。天然木は断熱性が高いので、手を火傷するようなことはないはずです。しかし、最近では天然木の代替品も本物に近くなってきているので、やはり自分で試すよりも、信頼できる工房やデパートで購入するのが一番安心だと思います。
それでいてやはり、職人技の最大の決め手は価格でしょう。本物の手仕事による漆器が欲しいのであれば、本物を確実に手に入れるためにかなりの金額を出す必要があります。ただし、漆器の大きさや手間の度合いによっては、比較的安価なバージョンも入手できます。これらは一般的に、シンプルで丁寧に作られた箸やカトラリーなどとして販売されています。
日本の漆器の魅力に迫る
漆器は日本各地にありますが、村上のような産地への旅により、漆器の魅力の中心となる工芸品だけでなく、それを作っている地元の人たちを間近で見ることの大切さを認識しました。村上への足跡を辿るか、他の産地で自分の好きな工房を見つけるかにかかわらず、日本の漆器から見える純粋な職人技は、きっと感動を与えてくれるに違いありません。
この記事に掲載されている情報は、公開時点のものです。